「74歳・心に残る沖縄」写真・文/石川 文洋 今回は、心臓疾患を乗り越え、各地の取材・講演に活躍される報道写真家・石川文洋さんの登場です。

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2012年5月15日「ひめゆりの塔」を訪れた修学旅行の高校生

2013年、75歳となった。体のあちこちにガタがきているが、それでも撮影に行く元気があることが嬉しい。60歳を迎えた時、これから毎年、「何か」ひとつ心に残るような仕事をしたいと思った。

それで、還暦から15年、「何か」をしてきたつもりでいる。今年は春に「ベトナムの旅」をして9月はオスプレイを撮影に沖縄へ行ったが、年末までにまだ「何か」できそうだ。


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40年ぶりに再会した上田小学校の先生だった上里愛さん

74歳の昨年は東日本大震災後の宮城・福島を撮影した。ほかに中学校などいくつかの講演があった。「戦争と人生を語る」という本を出すこともできた。でも、心に残るのは本土復帰40年を迎えた私の故郷・沖縄の撮影だった。

1972年5月15日、沖縄各地を周り「復帰の日の24時間」を記録した。それから40年後の5月15日、同じコースをたどって撮影した。

この歳になるとあまり重い荷物は持てない。ベトナム戦争中は若かったので、35mm、105mm、200mmのレンズを3台のカメラにつけて戦場を駆け巡った。今はとてもそんな元気はない。その点、現在のタムロンレンズ18〜270mmは軽量で1台のカメラで済むので助かる。

「74歳・心に残る沖縄」を女性の写真で語ろう。

1972年5月15日。本土復帰の日は朝から雨が降っていた。「ひめゆりの塔」の前はひっそりと人影がなかった。当時は沖縄と本土を行き来するためには「パスポート」が必要で、その手続きはとても面倒だった。したがって本土からの観光客も修学旅行もほとんどなかったのだ。

40年後。「ひめゆりの塔」近くの駐車場に停車した数台の観光バスから大勢の人たちが降りてきた。道路脇には土産店が並んでいる。若さに溢れた女性たちが「ひめゆりの塔」に合掌をしていた。

1945年。沖縄戦で同じ年頃の「学徒看護隊」の女学生188人の命が奪われた。生存していればいろいろな体験ができただろうと残念に思った。

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沖縄市各地区代表エイサー大会」に出場した若者たち

40年前の「復帰の日」、豊見城村(当時)の上田小学校6年生が「復帰を考える」討論会をしていた。その時の担任・上里愛先生は私より1歳下。まだ若さを保ち琉球舞踊の稽古に通いリサイタルもしていた。沖縄には年を重ねても魅力的な女性が多い。

2012年9月9日「オスプレイ反対県民大会」を撮影した。その前日、沖縄市で「エイサー大会」を見た。「エイサー」は祖先・亡くなった家族を供養する踊り。次から次へと登場する若者を見て「故郷はいいなあ」と沖縄の夜を楽しんだ。